ウイイレ一日一試合

ただひたすら、ウイイレを一日一試合行い、その試合内容、感想等々を気ままに書き連ねるブログです。(ウイイレ2014 PSP版:2015.7.29-2021.2.1 ウイイレ2021 PS4版:2021.2.2-)

Iリーグ第4節 「結果」という得体の知れないもの

スウェーデン 1-0 WIN

純粋にサッカー(ウイイレ)を楽しんでやってたら上手くなるよね。上手くなるのと強くなるのって、分けて考えることが出来る要素かもしれない。

 

今日は、ウイイレをやりながら、「サッカーって楽しいなあ。パスとかトラップでさえも楽しいな」みたいなことを思って、そしたら「あ、これが本当だよね。それがサッカーだよね」っていうふうになった。

自分がやっていることは、パスとかトラップとかシュートとかなのです。それでしかないのです。スコアとそれに付随すること(時間稼ぎとか)は、自分がやっていることではない。「自分=その人の名前」ではないことと同じようなものなのだ。本当はスコアとプレーは何の関係もない。ただどちらも独立して存在しているだけだ。なのにスコアが度々プレーに影響を与えるのは何故なのか。

スコアを気にしているからだ。結果を気にしているからだ。そしてスコアをよそ見していると、肝心のプレーが疎かになる。プレーが疎かになると、それはスコアに悪影響を及ぼす。

結局はプレーの質です。プレーの質が上がれば上がるほど、勝利する可能性は高まる。だって全てのプレーは勝利という「結果」に向かっているのだから。

ここに、「結果」が抱える矛盾が発生する。「結果」を気にすればするほど、「内容」の質は落ち、「結果」も悪くなる。「結果」は見ずに「内容」だけを見ていると、「結果」は良くなっていく。この矛盾。欲すれば欲するほど離れていくという矛盾。これはどこにでも存在する。

でも、この中で裏切らないものがある。それは「内容」なのだ。つまり「それ自体」だ。それはどうやら裏切らないみたいだ。アナロジーを使えば、人生において「日常」は裏切らないみたいだ。「日常」とはその人の常にやっていることと考えることができる。その人のやっていることは、その人の「幸せ」に向かっている。さもなければ、なぜ「それ」をやるのだろうか。日常における自分の行為を信じろ。

次戦の相手は、スペイン(9位)。日本は現在4位。ホーム戦。方向性は決める。その上で各々の判断に任せる。

明日も勝つ。

 

-番外編-
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趣味でピアノ曲を作曲しています。偶然にもこの文章を読んでしまった方、絶対に聴いてください。
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